
世界に名だたる宗教団体【アンリィ教団】の“13代目”アンリィ。初代に勝るとも言われる癒しの術を持つ慈愛のヒューマン──日本で触れた“ギャル”文化に嵌り、奔放さに拍車がかかった。
「これ! お腹空いてるんでしょ? 食べたらいーし」
ILLUST / 二条
【アンリィ教団】の大司教にして実質的な指導者。煌びやかな司祭服でも誤魔化せない、どうにも胡散臭い雰囲気の老齢の男。新たな金の匂いに笑みを深くする。
「やれやれ、アンリィ様にも困ったものですねぇ。また“お買い物”ですかねぇ」
ILLUST / 品岡トトリ福岡辺りは晴れだと言うが、大阪は今日も雨模様。
ここ数日は雨が続いて、濡れた身体が乾く暇もない。すっかり体温が奪われて、手足の先などまるで粘土か何かのような。
【アルカナ】なんてものを得たのがきっかけで、すっかり世界は変わってしまった。否や、変わったのは世界の方か、それとも自分の方なのだろうか。
元々、大して友人知人も多くないような、楽しいこともないようなその日暮らしのフリーター。とはいえ【世界】に排斥されて、今までの己の生活なんて顧みてみれば“あぁ、存外に悪いものでも無かったなぁ”とそう思う。
異物を見るような他人の視線がどうにも嫌で、バイトなんかも辞めてしまった。住んでいたアパートが【リトー団】なる魔族の集団に壊されて、住む場所も無く、食い扶持も無く、ついでに未来の希望も無いまま、何とはなしに彷徨い歩いて、いつの間にやらすっかり落ちぶれ橋の下。
明日は今日より少しはいい日になるのだろう、とそんな淡い期待を抱いて暑い夜を耐えて超える毎日。しかし最初の数日で心は折れて、今じゃ日がな一日を膝を抱えて地面を眺めて過ごすばかりの我が身が憎い。
列をなしてクッキーの欠片をせっせと運ぶ蟻の方が、自分よりは幾らか働き者だろう。
「ご馳走はコンビニの廃棄弁当と、甘い花の蜜ばかりだ」
と、からから笑った。
乾いた笑みでも零してなければ、正気でいられそうも無い。
大阪は中之島。
絢爛豪華、されど白く上品さもある【アンリィ教団】支部の建物、その裏口からひっそりと抜け出す者がいた。
頭からすっぽり被った真白いローブ。その隙間から覗くのは、艶々に輝く金の髪。
猫のような瞳でじぃと周囲の様子を窺うと、彼女は姿勢を低くしたまま駆け出した。見張りの信徒の視界を掻い潜るように、そそくさと短い橋を渡って行く。
「やれやれ、アンリィ様にも困ったものですねぇ。また“お買い物”ですかねぇ。今日は会談や診療の予定が無いからいいものの……いつ魔族と出くわすかも知れないと言うのに、警戒心が足りないんじゃないですかねぇ? ねぇ、貴方もそう思いませんか?」
高い位置から中之島を見下ろして、呆れたような吐息を零す老齢の男。キラキラと煌びやかな司祭の服では誤魔化せないほど、どうにも胡散臭い雰囲気がある。その男の名はブレナンという、世界に名だたる宗教団体【アンリィ教団】の大司教であった。
立場的には、教団におけるNo2。
とはいえTOPである“13代目”アンリィことアリアンナは、ほとんど神輿のようなもの。癒しの術こそ達者なれど、何やら日本に来て以来“ギャル”というのに嵌ったらしく、奔放さに拍車がかかったように思う。
まぁ、神輿は軽い方がいい。
今も、昔も、教団の実質的な指導者はブレナンが務めているのだから、何も問題は無いのである。
「アンリィ様はお優しい方だ。きっと今頃、病める“排斥者”たちに救いの手でも差し伸べておられるのでしょう」
ブレナンの背後に控えた男が、静かな声でそう言った。アンリィ教団の信徒の1人だ。身に纏うローブの左の脇が膨らんでいる辺り、ただの信徒とは些か違った役割を担っているのだろう。
「後を追ってくださいねぇ。適当なところで連れ戻してきてください」
「はっ」
足音も立てず、信徒の男は姿を消した。
空間に溶け込むように、気配ごと消え去ったのだ。
「……不気味な男ですねぇ」
胡散臭い笑みを貼り付けたまま、ブレナンは“ふん”と鼻を鳴らした。口では「不気味だ」と言っているが、表情は笑顔のまま変わらない。きっと胡散臭い笑みが、表情筋に張り付いてしまっているのだろう。
「さて」
部屋に誰も居なくなったのを確認し、ブレナンはテーブルの上の封筒に手を伸ばした。蜜蝋で封がされた洒落た装丁の封筒である。
差出人の名はクロード・オリーブ。
今頃は福岡で、対魔族の最前線に軍を敷いているはずの貴族軍人であった。
レターナイフで封を切って、ブレナンは手紙を取り出した。
手紙の内容を要約すると「ゴブリン牧場の候補地について」の報告のようだ。新たな金の匂いがすると、ブレナンは笑みを深くした。
メイクはばっちり、爪はぴかぴか、髪のセットも完璧だ。
大きな通りのガラスに映った自分の姿は、正しく“ギャル”そのものだった。
「カンペキっ♪」
ガラスの前でギャルピース。デコった爪が今日も眩しく、ぎゃんきゃわいい。まったく“ギャル”とはいいものだ。毎日が楽しくて、きらきらしていて、何もかもが輝いて見えた。日本に来てよかったと心から思うが、唯一の不満は原宿なる地が遠いことか。
「まー、オーサカも楽しいっちゃ楽しいけどね」
脱いだローブを丸めて脇に抱え込み、アリアンナは大阪の街を散歩する。偉い人だとか、金持ちだとか、そういう連中との会食や、病気や怪我の治療ばかりの毎日にあって、散歩の時間はまさしく“癒し”のひと時である。
アリアンナは慈愛の心を持つ
怪我をした者を癒したい、病める者を救いたい。
“初代”アンリィの逸話を訊いて、胸に芽生えた幼いころの憧憬は未だ失われていない。
「あ……!」
橋の下に膝を抱えて蹲っている人がいる。
まだ若い男性だ。薄汚れた衣服を纏い、痩せた身体を抱きしめるようにしてじぃと地面を見つめている。今日に希望を失って、明日なんて来なければいいと、心の底から何もかも諦めてしまった横顔に、アリアンナは悲しくなった。
明日は来るのだ。
希望はあるのだ。
信じていれば、誰かが救ってくれるのだ。
「誰が……? 決まってる」
悲しい時代だ。
恐ろしい時代だ。
約100年ぶりに魔族が人間の世界に現れたことで、誰もが恐怖し、不安な想いを抱いているのだ。だから皆が、自分や家族を守ることで精いっぱいで、他者に手を差し伸べる心を忘れてしまった。
だったら自分が、救いの手を差し伸べてくれる“誰か”になればいい。
教団支部から持ち出した菓子パンの袋を引っ掴み、アリアンナは駆け出した。
「これ! お腹空いてるんでしょ? 食べたらいーし」
辛い気持ちを笑顔で隠して、項垂れる青年に菓子パンの袋を差し出した。青年はどこか呆然とした目でアリアンナを見上げる。その痩せた手が、ゆっくりとパンの袋を掴んだ。
「いいのか?」
「もち! これね、いくらだったと思う? 半額セールで55円(税込み)! ちょーおトクだよね?」
太陽のような笑顔を浮かべ、アリアンナはそう告げた。
彼女は今日も荒廃した世界を駆けて行く。
傷つき、病めるどこかの“誰か”にとっての聖女。
希望をもたらす優しい“誰か”であるために。