
聖女ロゼッティの遺志を継ぎ、ゴブリンの解放を目指す長生きなゴブリン。組織【ゴブリン闇市】を名乗るが、その実態はハグレの1人きり。身体中の年季の入った傷が、100年の闘いを物語る。
「雷神丸。その……アタシぁ、ゴブリンの解放を目指してるんだ」
ILLUST / PAA「もしも自由になれたら、オルデリックは何をしたい?」
考えたこともなかった質問だったので、うまく答えられなかったということだけ覚えている。その時、彼女がどんな顔をしていたのかさえ定かではない。
「私はね、楽園を作りたいの。ゴブリンだけじゃないよ。誰もいじめられることのない場所。平凡な生活でいい。おやすみって眠って、目が覚めておはようって笑いあって、それが当たり前にできる場所。それが、私の考える楽園なんだ――」
家畜同然の扱いをされるゴブリンたちは、だからこそ、明確に人間の所有物だ。逃がそうとすれば、立派な犯罪者。だからその女はゴブリンどもと一緒に納屋に押し込められて、両手両足を縄で縛られていた。
小さな明り取りから月明かりだけが差し込んでいる。彼女の顔は、よく見えない。
「……あんた、ずっとこんなこと続けてンのかい? ゴブリンの解放なんて……あんたは同じ人間だから、まだ殺されてないだけだ。命がいくつあっても足りないよ」
「あ、心配してくれてるんだ? ありがとう、オルデリック」
「心配じゃねぇ、呆れてンだよ」
「だいじょぶ、だいじょぶ。一応ね、私にも仲間がいるから。そうだ、オルデリックも仲間になってよ。まだ出来たばかりだけど、名前は考えてあるんだ。私たちはね……【ゴブリン闇市】! ゴブリンを解放する組織だよ!」
「いや、それだとアンタも売ってンじゃないか!?」
「え、違うよ!? 違うけど、あー、そっか……そういう風にも……?」
絶対ヤバい女だ。ここまでの発言がすべて本気らしい。
じゃあ、なんだ。ゴブリンの解放っていうのも、自分を仲間にするっていうのも……?
「ばかばかしい。できっこない。寝言は寝てから言えってンだ」
「起きてるよ?」
「だーもう、違うって! 皮肉だよ! わかンないやつだなぁ!?」
「あ、そうじゃなくて。こっちこっち」
小さな明り取りから、人間の手のようなものが見えた。何かの合図だろうか。
彼女の言うことはすべて本気だった。仲間がいるというのも。
「さあ大脱走だよ、オルデリック!」
彼女の顔を思い出せないのは、納屋が薄暗かったからじゃない。
100年も前の、遠い遠い日の出来事だからだ。
「おや、目が覚めたみたいだね。いや、運がいい。よく助かったもんだ」
目が覚めたことで、先ほどまで夢を見ていたことを自覚した。
起き上がろうとして……しかし、身体の動きが鈍い。首から上を動かすのがやっとだ。
「無理しない方がいい。ゴブリンは魔族だけあって頑丈ではあるが、ここらの氷は普通じゃないからさ。なんというか、そう……呪いみたいなものだな」
「アンタは……? ここは……? アタシは、どうなったんだい……?」
「オーケー、一個ずつな。まず俺は雷神丸という者だ。ここは【札幌プリズン】……北海道にある、非合法の地下都市だよ。最後に、あんたは豪雪地帯でぶっ倒れてた。ウチの者が偶然発見、救助した。まとめると、俺は命の恩人ってことになる。理解したか?」
身体中が入れ墨だらけの女はいかにもアウトローな雰囲気を纏っている。男勝りな態度も相まって、静かな威圧感を湛えていた。
「……礼を言うよ。アタシはオルデリック。見ての通り、しがないゴブリンだよ」
「はいよ。じゃ、今度はこっちの番。お前さんはどうしてあんなところで行き倒れてたんだ? 北海道が100年前から凍土になっちまったって話くらい、いくらなんでも知ってるだろ?」
「きちんと説明しようとすると、長くなっちまうね……まあ、ざっくり言うと……見ての通り、アタシはハグレだ。あちこちで追いやられて、いつの間にやらこんなところさ」
目的はある。だが、まだ言えない。
ゴブリンの解放――それがオルデリックの理想だが、この話を他人にしてよかった試しがなかった。雷神丸は親切そうに見えるが、人間であることには変わらない。馬鹿にされるくらいならマシ。最悪、殺されても文句は言えなかった。
「お前さんの予想通り、俺は単なる親切心で世話を焼いているわけじゃない。最近何かと物騒だからな。ここいらを預かってる者としては、タイミングの良すぎる渡航者を警戒するのは当然だろう?」
でも――と、雷神丸は微笑む。
「見ての通り、俺たちはみんなお尋ね者さ。
「危害を加えなければ……でしょ? その点は安心してほしいね。アタシぁほんとに、ただのちんけなゴブリンなんだから」
「ん……そうだな。俺もこの目でちゃんと確かめて、お前さんに危険性はないと判断した。札幌プリズンは退屈な場所だが、歓迎するよ。ようこそ、オルデリック」
威圧感はある。一門の人物なのだろう。
だが、おおらかでゆったりとした心地よさも感じる。まるで大海原のような……。
改めて、オルデリックは幸運に感謝した。救助されたこともそうだが、彼女のような人間が相手でなかったら、今頃また首輪でもつけられていたかもしれない。
「そういえば……最近物騒だと言っていたね? 何かあったのかい?」
「逆にお前さん、何も知らないのか?」
「見ての通り、盗まなきゃ新聞も読めない立場なもんでね……」
「は、新聞ね……今じゃネットが主流だろ? お前さん、長生きなゴブリンだね」
まあ、北海道には基地局もないので、スマートフォンなんて使えないがね……と言いながらも、雷神丸は何かの端末を取り出した。画面には写真がいくつか表示されている。
「福岡と北海道に魔族が出現したらしい。外国からわんさか兵隊が集まって、【円卓】という対抗組織を立ち上げたそうだ」
「魔族が……!? ど、どうやって……!?」
「さてね。詳しい話は知らん。何といってもここから物理的な距離がありすぎるし、こんな辺鄙な土地には情報もなかなか回ってこない。ただ――」
雷神丸が言い淀んだのは、オルデリックの身を案じてのことだ。
情報には分相応というものがある。知らない方が幸せなことも……。
「どうやら北海道にも、魔界との門が開いたらしい。ここからかなり北の方だが、魔族の目撃情報があるそうだ。てっきり、お前さんの目的もそれかと思ったんだがね」
「ハハハ……魔界にも魔族にも未練はないね。第一、今更魔界に戻ってどうするってンだい? アタシみたいなゴブリンが受け入れられるわけがない。アタシらを追いまわすのが、人間から魔族に戻るだけじゃないか」
「門目当てじゃないと。じゃお前さん、ホントに何しに来たんだ?」
オルデリックは答えなかった。正しくは、答えられなかった。
彼女を失ってから、もう100年になる。ゴブリンが解放される気配なんてみじんもなかったし、【楽園】なんて夢のまた夢だ。
「何をしに来たのか……いや。これまで何をしてきたのか……ね」
【人魔大戦】の終わり頃、彼女を失った。
色々あって、はぐれてしまった。彼女が死んだという噂が流れて、最初は信じなかった。でも、時の流れと共に受け入れていった。ふつう、人間は100年も生きられないから。
それからは、ただ彼女の――ロゼッティの遺志を継ぐために生きてきた。ゴブリンを人間の支配から解放すること。みんなが仲良く暮らせる世界を作ること。ただそのためだけに毎日必死にやってきたのに、小さく醜い手にはなんの成果も握られていなかった。
「なにが解放だ。ただ自分がその日を生き延びるだけで精一杯のアタシみたいなやつに、ロゼッティの遺志を継ぐことなんて……」
できっこない――そう考えるたびに、彼女の姿が思い浮かぶ。
『だいじょぶ、だいじょぶ。オルデリックなら、きっとできるよ!』
何度心折れても、また立ち上がってしまう。
100年経って、やっとわかった。これはもう、呪いみたいなものなんだって。
「世話ンなったね。こんなに良くしてもらって、何も返せるモンがなくて申し訳ないよ」
「気にするな。久々に外の話が聞けて楽しかった。貴重な情報交換に感謝する」
しばらくして体調がよくなると、オルデリックは札幌プリズンを去ることにした。
目的地は北。ここから先は、未開拓地域だ。
「やばいと思ったら戻ってきな。くどいほど説明したが、ここらの氷は普通じゃない。北海道は呪われてるからな」
「ハハ……だいじょぶだ。呪いなら、慣れてるからね」
立ち去ろうとして、足を止める。やっぱり雷神丸には本当のことを伝えておきたかった。
「雷神丸。その……アタシぁ、ゴブリンの解放を目指してるんだ」
「へえ、そうなのか。大変だろうが、頑張れよ」
「わ、笑わないのかい?」
「なんでさ。お前さんの身体にある年季の入った傷を見れば、おふざけじゃないってのはわかる。それと……お前さんの目的なら、北に進むのが正解かもな」
煙草を咥えながら雷神丸は微笑む。
「北海道には、お前さん以外にもゴブリンが住んでる。【ウララゴブリン】っていうんだ。連中は人間より頑丈だしな。小さな集落を作って、ぽつぽつと生き延びているはずだ」
「北海道は、呪われているのにかい……?」
「ああ。なんでも、ゴブリンたちを守ってる魔法があるんだとさ。お前さんもゴブリンなら聞いたことないか? 聖女ロゼッティの伝説、というらしい」
ゴブリンの大きな目をまんまるに見開いて、オルデリックは彼女の言葉を思い出した。
『まず、自分から信じることだよ。そうすれば、その出会いはきっといいものになるから』
「ハ……ハハハ! アハハハハハ!」
「ん……どうした? 涙が出るほど笑える話だったか?」
「ああ、違うんだ。違うんだよ……ありがとう、雷神丸! 本当に……!」
ありがとう……もう一度小さく口にしたオルデリックの顔は、久々に晴れやかだった。
行こう……さらなる北の地へ!
忘れかけたロゼッティの物語。その続きを、見つけるために!